大正7年[1918年]5月
米倉近(よねくら・ちかし)により東京築地「精養軒ホテル」内に株式会社米倉の前身として理容米倉を創業。「一等鑑札理容店」は、京橋区管内に二軒のみで、国税を納める唯一の理容店。
大正12年[1923年]9月
関東大震災後、帝国議会議員会館で無料理髪を行う。災禍も生々しい9月中旬には千代田区「丸の内永楽ビルディング」に早くも開く。
大正14年[1925年]
中央区銀座六丁目「菊水ビル」に本店を開設。前後して長野県軽井沢町に夏期サービス店を開く。
昭和3年[1928年]
震災後の復興の中に支店の建設が続く。
千代田区平河町「東京万平ホテル」内、中央区八重洲「東京建物八重洲ビル」内、琴平町「三笠館」、長野県軽井沢町「軽井沢旧ゴルフ場」前など。
「三笠館」は米倉近 店主夫人の実家。後藤祥一氏(米倉店主義弟)発案であるわが国最初の間接照明などの採用は、先見性のある理髪店として、つとに有名であった。
昭和4年[1929年]
港区芝・琴平町に店員寄宿舎「自修寮」を開設。教育施設、給食センターの機能を果たす。
昭和6年[1931年]7月
「株式会社米倉」となる。
「ポリゴン」化粧品工場設立。理容に用いる化粧品は、医師の投薬に匹敵する。米倉が開発するこの一連の化粧品は、東京の有力理髪店が用いるところとなる。資質向上、公衆衛生に大いに寄与した。
昭和11年[1936年]
国会議事堂の完成にともない、議院内理髪室を新装開店。
昭和11年[1936年]
「菊水ビル」から中央区銀座六丁目並木通に本店を新築移転。建築家吉田五十八(よしだ・いそや)氏の設計になる三階建てのこの店は、冷暖房が完備され、斬新にしてモダン、従来の理髪店のイメージを一挙に転換し驚嘆された。
*この本店開設までの十数年にわたり、特筆すべきことは、米倉店主の義弟・後藤祥一氏の次元の高い見識、類いまれな独創性、先見性、計画性である。理容師、理容店の意義、社会的価値とを向上させ、理容技術、設備、サービス、そしてその実現に最も重要な店員教育を重視するなど、その思想と幅広い行動は、今日の米倉の基礎となっている。
昭和15年[1940年]
本店二階を美容室に改装。
昭和18年[1943年]
第二次世界大戦のさなか、物価統制令など各種の戦時法令のなかで、唯一の「特別許可店」を維持。
昭和20年[1945年]
戦災により本店をはじめ支店、工場を消失。唯一残った「東京建物八重洲ビル」の支店にて営業を継続。
昭和22年[1947年]
すでに復員した米倉茂男(後に滋朗)専務、店主の義弟・後藤三男支配人などを中心に復興へ邁進。銀座「松坂屋」デパートに開業した美容室も繁盛しはじめた。
昭和23年[1948年]
安心と楽しみを味わって頂く銀座本店が復活。設計は戦前と同じ吉田五十八氏。戦争で人々の気持ちは荒廃したなか、物資不足の時代に考えられない理容店が出現。戦後の理容業界における良きモデル店舗となった。
昭和25年[1950年]
米倉が理容業界にのこす足跡は数多く挙げられる。そのひとつは、職業補導、技能指導から脱皮した全国的、組織的、そして体系的学校教育成立への尽力。理容師としての全人教育、指導者の育成と、理容の総合研究を目的とする「中央高等理容学校」創立の中心的役割を果たした。特に米倉店主の義弟・後藤三男氏は、この事業の直接当事者として学校主事を務め、以後の職業教育の指針を示した。専門学校制度など国の教育施策に及び、現下において、なお大きな影響を与えている。
昭和27年[1952年]
本店二階を美容室に改装。銀座「松坂屋」デパートより移転。
昭和33年[1958年]
「大阪グランドホテル」内に開業。関西進出を果たす。
昭和34年[1959年]
米倉近社長、ニューヨークで開かれた全米理容大会に特別審査委員として招かれ渡米。アメリカ、カナダ各地を視察し、講演する。このとき持参した技術映画は、アメリカの理髪学校の教育に使われた。また、同行の米倉宏は、日本人理容師として初めて国際コンクールに出場。
昭和37年[1962年]
日本を代表する最高級ホテル、世界をもてなす「ホテルオークラ」内に開業。引き続き「広島グランドホテル」内に開業。これら一連のホテル内営業により、東京、大阪並びに有力都市における、高級ホテルモデルバーバーとしての指針を示した。
同年12月
本店に隣接する「朝日ビル」の完成にともない、その地階に本店を新設移転。吉田五十八氏の設計によるこの店舗は、豪華ながら落ち着きがあり、世界屈指の評判が高く、究極の理容店と言われる。施行は竹中工務店。
昭和39年[1964年]
戦前からの「新大阪ホテル」にかわる新築の「大阪ロイヤルホテル」内に開業。
同年春
米倉近社長、紫綬褒章を授かる。
同年秋
米倉滋朗専務、日本初参加のスイス・バーゼルにおける「世界理美容大会」日本代表審査員として参加、世界各地を歴訪。
昭和42年[1967年]
米倉近社長、勲五等双光旭日賞の栄に浴する。
昭和44年[1969年]
大阪市「ホテルプラザ」内、京都市「京都グランドホテル」内に開業。
昭和46年[1971年]
「ホテルオークラ・アムステルダム」内に開業。日本の理容店として、初めてヨーロッパ進出を実現。初代店長は、藤田武清。
昭和47年[1972年]
米倉近社長は会長に、米倉滋朗(よねくら・しげお)専務が社長にそれぞれ就任。若い層の昇格が可能な会社組織の拡充に力を入れる。
昭和48年[1973年]
米倉創業55周年を迎え、「ホテルオークラ」において感謝の催しを開催。
昭和49年[1974年]
港区赤坂「迎賓館」内理髪室の内装を担当、続いて運営を拝命。
昭和50年[1975年]2月
創業者米倉近他界。正六位を叙せられる。
昭和56年[1981年]
兵庫県神戸市「神戸ポートピアホテル」内に開業。
昭和57年[1982年]
京都グランドホテル店。地階より1階に新築移転。
昭和59年7月[1984年]
大阪グランドホテル店、隣接する空室に新築移転。
昭和63年[1988年]
米倉滋朗社長は会長に、米倉宏(よねくら・ひろし)副社長が社長に就任。
平成元年[1989年]9月
大阪ロイヤルホテル店、地階より7階に新築移転。
平成6年[1994年]5月
「広島グランドホテル」より、新築の「リーガロイヤルホテル広島」10階に移転新規開設。株式会社理容米倉より分離独立し「有限会社広島米倉」となる。
平成8年[1996年]9月
米倉滋朗会長他界。
同年12月
神戸「ポートピアホテル店」が、株式会社理容米倉より分離独立し「有限会社神戸米倉」となる。
平成9年[1997年]2月〜4月
本店、銀座「朝日ビル」地階から「銀座東急ホテル」内に新規開設。
同年4月
大阪ロイヤルホテルが「リーガロイヤルホテル」に、大阪グランドホテルが「リーガグランドホテル」に、京都グランドホテルが「リーガロイヤルホテル京都」に、それぞれ名称変更。
平成10年[1998年]3月
ホテルオークラ店、本館より別館地下1階に新設移転。
平成11年[1999年]5月
大阪ホテルプラザ店、ホテル閉鎖に伴い閉店。「ロイヤルホテル」店内に連絡事務所を開設。
平成12年[2000年]5月
神戸店、「神戸ポートピアホテル」内より、同市トアロードに、新規開設。
同年8月
米倉宏社長は代表取締会長に、米倉満(よねくら・みつる)副社長が代表取締役社長に就任。
平成13年[2001年]3月
銀座本店、「東急ホテル」閉鎖に伴い、「数寄屋橋ショッピングセンター(銀座ファイブ)」2階に移転し、新規開設。
平成21年[2009年]3月
リーガグランド大阪店、ホテル閉館に伴い閉店。
平成23年[2011年]8月
米倉宏代表取締会長は取締役会長に、米倉誠敏取締役が代表取締役副社長に、川辺取締役退職に伴い山崎辰明が取締役に就任。
平成25年[2013年]8月
米倉宏取締会長は会長(顧問扱い)となる。
平成27年[2015年]4月
創立百周年事業への一環として、理容米倉公式ウェブサイトを開設。
平成28年[2016年]9月
リーガロイヤルホテル京都のリニューアルに伴い京都店も内装を一新し、新装開店。
平成29年[2017年]5月
米倉誠敏(よねくら・まさとし)が代表取締役社長に就任。
平成30年[2018年]5月15日
大正7年(1918年)の創業から百周年を迎える。
令和元年[2019年]9月
ホテルオークラ東京が本館を建て替え、「The Okura Tokyo」として開業。それに伴い新たにオークラプレステージタワー地下1階に移転、新規開店。
◎その他の活動
理容米倉では、理容業界のリーダーとして、理容の社会的価値を高め、その使命を遂行する諸活動を行っている。
○米倉滋朗会長は、急逝直前まで、東京理容健康保険組合理事長、東京都理容環境同業組合中央支部長、東京中央環境衛生協会会長、東京都中央税務協議会会長、銀座商店会第三連合会長を兼任。
○米倉宏会長は、職業奉仕、社会奉仕、国際奉仕、青年奉仕などを掲げる国際的な団体である東京西ロータリークラブに所属。
○米倉宏会長は、理容師資格認定委員(国家試験)、全国組織による「学校法人中央理容美容専門学校」の講師を長年つとめた。
全国の理容師養成課程で用いる教科書の最初の編纂委員。昭和36年[1961年]「NHK教育テレビ」職業技能講座理容科を担当、放送分野における理容のインストラクターを務める機会が多い。
全国理容生活衛生同業組合連合会中央講師会幹事、同連合会髪型設定委員、理容用語等検討委員会委員長、理容デザイン教科部会長などを歴任。同連合会名誉講師、同連合会が主催する全国理容競技大会永年審査員(終身)として、職業教育、業界教育の発展に寄与。
東京で開催された世界理美容連盟主宰の国際シンポジウムのチェアマンである。
○米倉満社長は、東京同組中央支部役員として、藤田武清取締役は、東京同組赤坂支部役員として、それぞれ重責を担う。
○米倉満社長は、業界オピニオンとして相互啓発を目的とした「進会」を主宰。また「東京理容青年会議所」中央支部代表を歴任。
○米倉満社長は青年会議所OBとして活動。
○理容研究団体「早苗会」は、全国的規模の業界教育に重要な責任を負っており、理容師の人格完成を目標とし、これまで多数の全理連中央講師を輩出する、55年の歴史をもつ組織である。米倉宏会長は、その第4代会長として指導をし、現在は名誉会長。
○「米倉兄弟会」「YGA」は、米倉門下の現役、OBを包括する組織として永い歴史をもち、時宜に適した活動を行う。
○国内および海外に建設されるホテル内のヘアサロンについて、設備、運営のコンサルティングも数多い。同時に、自社で整容材料を開発すると共に、著名化粧品、理美容器材モニターの役割を果たす。
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